我らが国際アナウンサー、岡田紀子さんは、文化放送現役バリバリのニュースアナウンサーとして開会式直前の、都庁に聖火リレーが到着するその瞬間を取材。現場の様子をありありとレポートしていました。
取材の足を伸ばし周囲の会場で東京都が作成したオリンピックグッズなども写真付きで紹介してくれています。
是非皆様ご覧ください。
岡田さんが「最新情報」なら私は「最古情報?」をちょっとだけ書いてみます。
1964年、東京で初めてのオリンピックは、家族が揃う夕飯時に放送が始まり、今は亡き両親と、今も元気な姉2人に私を加えた一家5人は、テレビ(たぶん白黒14インチ?)を前に無言で食事をしていたはずです。
なぜ無言か?というと、私がテープレコーダー(テープ式・録勉という名の学習用テレコ)のマイクをスピーカーに向けて、実況中継をその場で録音していたからです。
中継担当アナウンサーだった北出清五郎さんが「世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような素晴らしい秋日和でございます」という名調子で歌い上げたあの場面に一家で息を呑んだのを覚えています。
「これを録音しておけば将来値が付く」
愚かにも幼心にそう信じて手持ちのマイクをテレビのスピーカーに向け続けていた中学生の私。
今から考えれば頓馬な光景です。
家族が話をしようとしたり咳払いする度「しっ!」と人差し指を口の前にして「しゃべっちゃダメ」と警告を送る中学生の私。
「今大事だからお母さん黙ってね、お父さん音立てて食べないでね、お姉さん笑わないで」など、私に何の権利があったのかいまだにわからないのですが、いつになく言い返すものもいず、家族一人一人黙々と食事したのを思い出します。
あんなに熱心に録音したテープでしたが、その後聞き返したことは一度も無く、いつまで保持していたかも忘れ、2度と再びあのテープとはお目にかかれていませんが、あの日の光景だけは脳裏に残っている宝物です。

元文化放送アナウンサー。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学し心理学修士号を取得。精神科クリニックに勤務し、シニア産業カウンセラーとしても活動。英語・北京語も堪能。アナウンサーとカウンセラー両方の経験を元に梶原メソッドを考案。オンライン話し方教室「ツタバナ」を始め、自ら塾長を務める。