「話し方の奥深さ」今昔物語

消えた「迂遠表現」

「ねえ、彼、彼って、今度の日曜とか、何してる人」

 

ウン十年前、新人アナウンサーだった頃、ラジオ局の、普段あまり話をしたことのない営業部の先輩から、草野球の誘いを受けたときの言葉だった。

 

「ねえ、君」じゃなくて、「ねえ、彼!」と、目の前の私に声をかけている事実を知って、きょとん・・・
「何してるの?」ではなく「何してる人?」というクエスチョンにもまたまたきょとん。

 

「野球とかしたりする人?」という「とかしたりする人?」という問いかけにもきょとん、だった。

 

アナウンサー研修ではキッチリとした「標準的な日本語」を嫌というほどたたき込まれていたというのに、そこで働く人たちは、意外にも「標準的でない日本語」を使う事にきょとん、の連続だった。

そういえば、同期入社の女性アナもディレクターから長いこと「かのジョー!」と呼ばれていた気もする。

 

亡くなったジャニー喜多川さんが、若いメンバーを、「君」、じゃなくて「ユー」と呼ぶのに、似ていなくもない。

 

こういう「遠回しな言い方」「回りくどい、変化球的な言い方」を「迂遠表現」という。
「直截な言い方を避け、あえて回りくどくして、相手の逃げ道を作ってやろう」という、いわば「配慮の表現」でもあったのだ。

 

アナウンサー研修では「ハッキリ、くっきり、わかりやすい言い方」というものを繰り返し学ぶのだが、実際の日常会話では「ぼかした言い方」を使う事で、相手への気遣いを表す話術、というものもあるのだと知り、話し方の奥深さに触れたのも今は昔の物語だ。