普通の主婦が「話し方」を学んで、長寿番組の司会者になった理由

梶原しげるです。

 

古い話で恐縮です!

 

1994年と言いますから今から28年も前の事です。

 

その頃フジテレビに「おまかせ!山田商会」という、当時人気絶頂の山田邦子さんが司会を務める「人助けバラエティー番組」がありました。

 

昔の話で記憶は曖昧ですが、「山田商会」の「業務」は「○○が苦手で悩んでいる」と訴える素人さんに「助っ人(その道のプロ)」を派遣して「苦手」を「プロのコーチ」が「得意」に替えてしまおうという番組だったと思います。

 

私が「助っ人」として担当したのは、人前での話が大の苦手で、話しかけられると、顔を赤くしてご主人の後に隠れてしまうような、高度の「人見知り奥さま」でした。

 

声もか細く、耳に手を当てないと聞こえないほどで顔もこわばったまま。

 

「こりゃあ、難しいぞ・・・」と助っ人役の私も覚悟を決めました。

 

私と二人だけだと緊張するというので、その後の「レッスン」はご主人を交えた3人で、歌手やタレントさんたちにまつわる話や、私のアナウンサーとしての失敗談などをお話することで、肩の力が抜けたのか、少しづつですが笑顔も見え始めました!

 

「なんとかなるかもしれない!」

 

或る日、彼女は、「NHKアナウンス読本」を抱えてTV局の会議室にやってきました。

 

どうやら、独学で、発声練習、滑舌練習に取り組み始めていたようです。

 

梶原:「一緒にやってみますか?」と聞いてみたら「そのつもりで持ってきました!」とニッコリ笑顔で返してきます。

 

「人見知り奥さま」の面影は徐々に消えていく、良いことです。

 

一旦その気になると人は変われるものなのですねえ・・・

 

ディレクターも彼女の変貌ぶりに驚いた様子です。

 

「いいねいいね、前に収録したVTRの彼女とは別人だねえ!彼女の変化を表すために、次回はマイク前でのフリートーク的なシーン、録りますか?!」

 

梶原:「いや、そりゃあ、やり過ぎですよ、2回や3回、私がレッスンを付けたからって、そこまでは無理じゃないかなあ、せめて発声練習で声が太く大きくなったところ、滑舌練習でメリハリのある発音ができるようになった、そのリアルな変化を3回目辺りで収録したら良いんじゃないですか?」

 

番組ではディレクターが当初から狙っていた、マイクを前に、臆することなく、堂々と話している映像は、4度目の収録で撮れたように、ぼんやりと、記憶しています。

 

フリートークを見事やり終えた「人見知り奥さま」がナレーションブースから出てくるところへ、「よかったよ(涙)」とご主人が花束を差し出し、奥さまが堪えきれずに嗚咽を漏らす・・・

 

テレビ的にはなかなか感動的な映像が撮れていた、と記憶していますが、なんとも古い話で、実際の所は思い出せません。

 

そんな「人見知り奥さま」から、今年も「寒中見舞い」が届きました。

 

「梶原さんとテレビで出会って今年が27年目になりました。

私が担当するコミュニティーラジオ番組「マザーランド」は昨年25年目に突入しました。

 

 

中略
あのこと(「おまかせ山田商会」に梶原と共演)をきっかけにまさか私が自分の番組を持つなんて、思いも寄らぬ事でしたが、実際に、うちのラジオ局一番の長寿番組のパーソナリティーになることができました・・・・
梶原さんに負けず、私たち夫婦も、第2のハネムーン(拙著:「妻がどんどん好きになる」「光文社」から)を楽しんでいます・・・

ね、「話し方」を学ぶと、良いことありそうでしょ?